最近、悶々とすることが増えているのは、自分の大事にしている仕事観と
ある人の仕事観が全く相容れないように感じるからだ。
わたしは締切から逆算する。
その締切に合わせて、何をいつまでにやると決める。
ところがその人に依頼をすると、質問が飛んでくる。
なんのためにやってるの?
いつまでにやるべきなの?
何度同じことを説明しているかわからない。
その人はまるで初めて聞いたかのような反応をする。
これまで説明したことが、
「まるで存在していないかのよう」という感覚に
わたしは強く反応する。
言いましたよね?
確認しましたよね?
相手に詰め寄ってしまう。
そうでもしないと、
自分が溶けてなくなりそうだからなんだ。
最近それに気づいた。
そう、わたしが大事にしているのは、
地続きの仕事。
前回のミーティング内容が引き継がれ、
前提が覆ることなく、スイスイ仕事が進むということ。
仕事とはそういうものだと思っていたけれど
そうでない人もいるのだと驚愕する。
毎回説明しないと仕事が始まらないというボトルネックに
相当のダメージを受ける。
それぐらい、積み上がらないことに絶望を感じる。
だから、仕事だけじゃない。
人とのコミュニケーションにおいて、
相手が全く覚えていないとわかると、怒りを覚えるのだ。
しかし。
わかっている。
相手は変わらないし、自分も変わらない。
「自分の大事にしている仕事観が炙り出されてるね」
AIは半分冗談みたいなことを言う。
本当は炙り出されたくなんてない。
自分の大事にしているものを踏まれて、イライラする毎日はごめんだ。
けれど、大事なもの、守るべきものがわからなければ
自分らしさは表現できないのかもしれない。
バウンダリーを踏まれるたび、
なぜ、わたしはイライラしたのだろう
なぜ、わたしは悲しかったのだろう
内観の日々が続く。
