わたしは許されない存在だ

アート合宿から帰ってきて、できるだけ絵を描くようにしている。

心にある傷を癒すことができるのでは、と思っているから

今日は音楽を聴いていたときに、急に淡いピンクのハートを描きたいと思いたった

ピンクの絵の具一色で、というよりも、

白と赤を混ぜて、あわーいピンクに。

色むらのあるハートを描いてみたかった。

1枚目はピンクの大きなハートを描いてみた

赤と白を残したかったけれど、

水で薄めて描いていくうちに、のっぺりとしたハートに

可愛いけれど、全然物足りない

2枚目は小さいハートをたくさん描いていった

ピュアで可愛いピンクのハート

でも、これ、わたしのハートじゃない

わたしのハートはこんなにピュアじゃない

もっとどす黒い、

なんなら、もっとドロドロしている、と思った。

それを感じてると、ある思いが浮き上がってきた

「わたしは許されない存在だ」

だって、わたしは人を傷つける

「わたしは許されない存在だ」

とても馴染みのある思い込み

「わたしは許されない存在だ」と感じると

「その通り」という声が返ってくる

そう、わたしは許されない存在だ

だって、

わたしの欲しいものを手にいれると、人を傷つける

だって、

自分の願いを叶えると、人を裏切る

だから、欲しいものを欲しいと言わない

人を傷つけるぐらいなら、人を裏切るぐらいなら

自分のニーズや願いを無視するほうがましだ

そう思って生きてきた。

母よりも傷ついているのはわたし

幼少期を遡ると、わたしが傷つけると思った対象は母か弟だろう

「母の時間をわたしが占有すると、(弟に手をかけられなくて)母が傷つく」

「わたしが母の愛を欲したら、母は弟を裏切ることになる」

母の愛も時間も有限だ。

それならば、わたしが我慢すれば、母と弟は幸せでいられる

それが根本でできた思い込み(ビリーフ)かなーと、

健気な子供のころのわたしに思いを馳せる。

でも、自分のニーズや願いを叶えないのは、

自分を傷つけ、裏切っているのと同じだ。

なにより、「わたしは許されない存在だ」と

自分を許してないのは、わたし自身だ。

相変わらず自分に厳しいよねーっと苦笑。

リセットせず味わってみる

リセットしてしまえば、楽になるかもしれない。

けれど、もう少しこの感覚を味わいたい、と思う。

アート合宿で言語化された

「ま、いっか」と自分への諦めの一端は

たぶん、これだ。

そんなことを感じながら、今日も絵を描いている。

プロフィール

chika

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