「できないわたし」を手放す

7月末のさえさんのセッション。

この日は最初からずーっと、仕事で関わっている「わたしを追い詰める女性」の話をしていた。

その人はわたしに期待をし、勝手にがっかりし、責める。

「やるって言いましたよね?」
「なんでちゃんとやらないんですか?」
「なんでできないんですか?」

ちゃんとやっていないわけではない。本人的には一生懸命だ。

でも、完璧を求めているだろうその人にはできてないとしか映らないらしい。

そして、できていないところを指摘されると、できている、できていないに関わらず、どんどんわたしのパワーが削がれ、小さくなっていく。

結局、好きだった仕事をやりたくなくなるのだ。

ピアノを練習せず、母から詰められた日々

さえさんに言われてカードを引く。FEAR(怖れ:写真左)。

何を思い出す?とさえさんに言われて、母だなと思う。

一連の仕事の話を振り返ると、あー、母と同じことをずっとやっていたなーと気づく。

たとえば、ピアノ。

「ピアノやりたいって言ったのは、あなたでしょ?」
「なんでうまく弾けないの?」
「なんでちゃんと練習しないの??」

毎日詰められて、怒られて、時には怒鳴られていた。

わたしは途中からピアノが嫌いになってしまった。

さらにこれにはカラクリがある。
本当にピアノをやりたかったのは、母だ。

母が自分の望みを叶えたくて、わたしにピアノという夢を託した。

だから、高いピアノも買ってくれた。

わたしは「自分がやりたいと言った」と信じて(実際に言ったのだろう)、一生懸命ピアノを練習し、途中までは上手だった。

中学生に入ると、ブラスバンドに夢中になり、ピアノは疎かになった。
母は鬼と化して、なぜやらない?と責めるようになった。

今から思うとブラスバンドに熱中していたあの時期は本当に楽しかった。いい経験だった。
でも、母に怒鳴られる日々とのセットだった。

母に認めてほしかった
家族の中での居場所を確保したかった

「ピアノを練習する・しない」は、実はわたしの自由だ。

わたしに選択権がある。

いまから思えば、そのことを薄々知っていたように思う。

でも、わたしは気づかないふりをして、ピアノを続けた。なぜなら、そうすることで、母から褒められるから。認めてもらえるから。認めてもらえたら、家庭に居場所を確保できる。

そう、ピアノはわたしが母から承認をもらい、居場所を確保するための道具だった。

うわー、すごい気づきだ。

さらにさらに、わたしは「ピアノができないわたし」を演じていた。

だって、本当にピアノが上達してしまうと、怒られていた時間であったとしても、母との大切な時間がなくなってしまうから。

あー、だからわたしは、ピアノを上達しないように、練習しなかったんだ。。。

3歳下の弟がいるわたしにとって、怒られようが、何しようが、ピアノの時間は母との大事な時間だったのだ。。。

子どもの無意識ってすごい。
そして改めて文字にすると愕然とするよね。

そこまでして、母の愛が欲しかったんだと思うと泣けてくる。

これを今起きている出来事に当てはめる・・・

あー、わたしはわたしを追い詰める女性に褒めてほしくて、認めてほしいのだ。

だって、認められたら、その会社にいていいよ、というお墨付きがもらえて、居場所ができるからだ。

ちなみに、その女性が決定権を持っているかどうかは、後でわかったことだが、この人!という直感が働いていたのは、自分でも苦笑してしまう。

さらにさらに、

「やるって言いましたよね?」
「なんでちゃんとやらないんですか?」
「なんでできないんですか?」

と言われることによって、その人との関わりを作っているのだ。その人から愛を受け取っていると認識し、存在の承認をもらっていると解釈しているというわけだ。

なんと。。。愕然。。。

まだまだ子どもの意識で仕事をしている、ということは、癒やされていないインナーチャイルドが存在するっていうことだ。

母の威厳を守るための「できない子」

できないを演じることには、もう一つの側面があることにも気づいた。

それは、できない子どもをすることによって、母の威厳を保たせる、というものだ。

わたしがピアノができるようになってしまったら、母にとっては嬉しいけれど、母はわたしにピアノを教えることができなくなる。

母という威厳を保てなくなる。

だから、わたしはずっとピアノを練習しない、できないわたしを選んでいたんだった。母のために。

今の会社に当てはめると・・・

わたしが仕事ができるようになると、会社の決定権を持つ女性の立場をおびやかしかねない。

相手もたぶんそれを無意識に感じていて、わたしを攻撃して、自分が上であることを知らしめようとしているのだろう。いわゆる、マウントを取るってことですかね。

わたしも無意識に薄々わかっていて、相手の立場を守ってあげようと「できないわたし」を演じようとしたのだと思う。

会社で、子ども時代に家族の間で担っていた役割を演じるとは聞くが、ほんと、見事にやっていた。無意識ってすごい。

セッションの最後でもう1枚カードを引いた。

「COMMUNICATION(コミュニケーション:写真右)」だった。

話し合いをせよっていうメッセージだなと感じた。

新しい選択をする

「やるって言いましたよね?」
「なんでちゃんとやらないんですか?」
「なんでできないんですか?」

子どものときからそうだったが、基本、こういう件には関わりたくない、争いたくない。面倒。だから、下になって、言うことを聞くというのが、これまでのパターンだ。

しかし、心の学びをしているのだから、下に入ることで、自分を貶めている、自分の尊厳を傷つけている、こともわかっている。新しい選択をするのが大事だと言うのも知っている。

もちろん、いちいち新しい選択をするのは、時間も体力もいる。

けれど、この会社では、この人と上下関係にならなくても居場所は確保できるはずだ。それに、彼女とわたしはもともとポジションとしては対等だ。だから、わたしがわたしの尊厳を守るために、関係を本来の対等な位置に戻したいと考えた。

そのキーワードがコミュニケーションだ。

あー、めんどうだなーと思いつつ、彼女とミーティングして話し合うことを選択した。

話し合いではいろいろ言われたけれど、参加してくれた他のメンバーが援護射撃してくれたことで、わたしの思いが伝わり「あー、そういう意味でちゃんとやってたんですね」と理解してくれた。

そこからは、彼女からの攻撃はなくなった、ように感じる。

わたしが「下にはいらない」「できないわたしにならない」と決めたからだ。
他のメンバーのサポートは、見えない存在からのサポートにも思えた。

これで、会社での詰められ案件は一段落しそうだ。

もちろん、また同じようなことが起こるかもしれない。

でもそのたびに、相手とどうなっていきたいのかを考えよう。そして、できる限り新しい選択をしていこうと思った経験だった。

あなたも「できないわたし」を演じていませんか?

もしくは「わたしはできない」という思い込みがありませんか?

もしかしたらそれは、

わたしのように、承認してほしかったり、誰かのポジションをキープするための、あなたの思いやり・愛なのかもしれませんね。

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