先日、受講生として参加していた講座で、
イラっとすることがありました。
ひとりの受講生の相談でした。
ひとりで20分以上も話している。
終了時間をとっくに過ぎている。
それをみんなでうんうんと聞いている。
相談者は、
- 自分がどれだけ苦しいのか
- どれだけ大変なのか
- どれだけがんばっているか
を泣きながら話していました。
そっかー
大変だねー
苦しいんだねー
と思うわたしがいる一方で、
「え、いつまで続くの?」と
イラッとしている自分がいました。
そしてすぐに、
心理カウンセラーである自分に対し、
「この状況でイラッとするなんて、資質としてどうなの?」
と責めるわたしも出てきました。
投影だけではなかった
チャッピーに「これって投影?」と聞いてみたら、
「投影と価値観のズレの両方だね」
と返ってきました。
(投影)
大変な状況から抜け出そうとしない相談者に、
かつてそうだった自分が刺激されている。
(価値観のズレ)
相談者から、自分が大事にしている
価値観をふみにじられている。
たとえば、
・時間を守ることへの誠意
・場の空気を読む配慮
・講義を受ける他の人への敬意
つまり、その人はある意味、・自己完結できていない
・他人の時間を奪っている
・場の質を下げている
という意味で、暴力的だったりするよ。
なるほど、
「わたしの時間が奪われる」「場が乱される」
それが嫌だったんだ、と納得できました。
「寄り添わなければならない」
というビリーフ
さらに、チャッピーに刺さることを言われました。
「寄り添い続ける=愛」って思い込んでない?
寄り添うとき、自分を犠牲にしてない?
一緒にいることと、巻き込まれることは違うよ。
「寄り添う」って“自分の命を差し出すこと”じゃないよ。
…ほんと、その通り。
「彼女に寄り添えないわたしは、カウンセラー失格」
そんなふうに、自分を責めていたことにも気づきました。
そして、「寄り添わなければ、愛ではない」という気持ちが、
これまでのクライアントとの
バウンダリーを曖昧にしていることにも。
わたしがやりたいのは、
変わりたい人を応援すること
相談者のおかげで、大きな気づきがありました。
ぐるぐるして、苦しさに止まりたい人は、それでもいい。
でも、わたしは
「もう嫌だ!変わりたい!」という人を応援したい。
自分の力で立ち上がるんだという
覚悟をした人を、全力でサポートしたい。
それが、わたしの願い。
もちろん、しっかり寄り添う。
でも、寄り添いだけでは解決しない。
そこをしっかり導いていくのが、わたしのスタンスです。
最後に
もしかしたら、あなたも
「寄り添いすぎて、苦しくなってしまった」
経験があるかもしれません。
わたしもそうです。
でも、そこから一歩引いて見たときに、
本当に大切にしたいものが見えてきました。
寄り添いながら、
自分をすり減らさない。
そんな関わり方を、
これからも探求していきたいと思っています。